川井洋基
防災公園の設置についてお伺いいたします。
本市の平成12年度の前期基本計画及び平成24年~平成32年度の後期基本計画には、防災体制の強化及び防災拠点施設の整備は、市街地の避難場所として、小中学校、公園等が指定されていますが、新たに西船防災公園の整備を進めます。また、災害時に地域での災害対策活動の拠点となる防災倉庫を学校の空き教室を利用して整備するとともに、建設省船橋防災センターとの連携を図ります。さらに、市域の中心部に広域避難地となる総合公園(防災公園)、ヘリポートの整備も図りますと、市の防災拠点としての防災公園の整備について明確な記載があり、場所の明記はありませんでしたが、場所は現在の取掛西貝塚の場所そのものでありました。
さて、その後、令和4年度~令和13年度の現在の第3次総合計画には、防災公園の設置についての記載が全くなくなってしまっており、船橋市民の生命、財産を守る最も重い立場の市の責務が欠如していると言わざるを得ません。
さらには、近年、阪神・淡路、東日本大震災、熊本地震、北海道胆振地震、そして、本年元旦の能登半島地震と大規模な地震が頻発し、多くの人命と膨大な都市のインフラの致命的な破壊が続く今日、この無防備な危機管理意識が欠如したとも言える第3次総合計画では、市民の安全と財産の保全は到底図れないと危惧するものであります。
千葉市、柏市、市川市、習志野市などの近隣市は、ヘリポートや災害救援物資の備蓄倉庫、マンホールトイレ、防災井戸や耐震性貯水槽などを備え、救援、復旧のための後方支援型活動拠点としての国土交通省の定めによる要件を満たした防災公園が既に設置されて整備されております。千葉市、柏市、市川市では、防災公園に職員が常駐しております。また、千葉市では、防災公園と位置づけられた公園を市の危機管理課が直接運用する見直しが図られる予定と聞いております。
私は、昨年の11月3日に市川市の大洲防災公園で行われましたいちかわ市民まつりを見学しました。市民利用による各ブースのテントは、防災公園に備蓄してある災害者の一時居住テントを公園内所狭しと建て、さながらお祭りを兼ねた防災訓練のようであり、市民に日頃から防災公園の場所の周知と居住用テントの使用に慣れることに大変役に立っていると、その現実的なアイデアに感心したものでありました。
そこで、喫緊の課題として近年想定されている首都直下型地震に備えての本市の第3次総合計画における大規模震災に対する本市の考えと準備や対応についてお伺いするものであります。
お答えいたします。
総合計画における防災公園設置に係る記載につきまして、前期の第2次総合計画後期基本計画におきましては、先ほど議員のほうからも詳しくご説明いただきましたが、基本施策、豊かな緑の保全と創出、施策の方向、公園緑地の整備における主な取組の中で、都市防災に寄与する公園として防災公園の整備について記載しておりました。
現在の第3次総合計画には、防災公園の設置についての記載はございませんが、基本施策、自然との共生における緑の保全と公園緑地の整備を推進する上で、防災活動の拠点となる防災公園の整備につきましては、緑の基本計画にも防災機能の強化への対応として位置づけられており、船橋市民の安全安心な生活を保障する重要な課題と考えているところでございます。
所管事項にお答えいたします。
都市公園における防災機能の整備につきましては、防災活動の拠点となる都市公園の整備を検討する中で、これまで地域防災の拠点となる近隣公園等に防災対応施設の整備を進めてまいりました。
都市公園は、都市の貴重なオープンスペースとして災害時においても避難場所や災害活動の拠点等の役割も担っていることから、引き続き公園の防災機能のさらなる強化に努めてまいります。
ご答弁ありがとうございました。
しかし、後悔先に立たずというね、昔からのことわざがあるように、起きてしまってからではどうにもならない。しっかりと第3次総合計画について、もう一度検証されることを強くお願い申し上げます。
質問ではございませんが、1つ、昨年の12月31日の千葉日報のこの記事ですね。記事のコピーですが、これを読んで紹介させていただきたいと思います。
12月31日、これは能登半島地震の前日のコラム記事であります。途中省略します。
阿鼻叫喚の世が明けた。320年前、房総半島沿岸に暮らしていた人々は周りが白むにつれ浮き彫りになる村の惨状に絶句したことだろう。1703年12月31日午前1時~3時頃、房総半島南方沖を震源とする巨大地震が発生し、千葉県沿岸は大津波に飲み込まれました。県内で6,500人以上が死者、行方不明の犠牲になったとされる元禄地震の発生から320年を迎えた。当時の古文書は、大山のような潮が打ち寄せ人々が溺れ死んだ惨禍を生々しく記載。九十九里浜や県南沿岸部に残る多数の供養碑も被害の甚大さを物語っている。ちょっと割愛します。今年は関東大震災から100年の節目でもありました。発生日の9月1日前後には各地で展覧会や講演会が開かれたが、元禄地震はそこまで注目されなかった。時の流れは未曽有の惨事ですら風化させてしまう。地下で複数のプレートがせめぎ合う日本列島に住んでいる以上、地震は避けて通れない。2023年の大みそか。今年節目を迎えた2つの震災から過去の災害を知る大切さと備えの重要性を改めて認識し、来る年の平穏を願うとありましたが、何とその翌日に、能登半島の大地震が発生して、大規模な被害があったわけでございます。
これは、昔から、災害は忘れた頃にやってくるとの古人の戒めは決して他人事ではありません。泥縄とのそしりと、震災が起きてからお悔やみを受ける立場にならぬよう、念じざるを得ません。
以上で、質問を終わります。ありがとうございました。